
かつて巨匠デヴィッド・リーン監督が砂漠へ70mmキャメラを持って行って、『アラビアのロレンス』(62)を撮って、その上映方式での究極の映像を残したように、クリストファー・ノーラン監督が全編IMAXフィルムキャメラで撮影した本作『オデュッセイア』は、このIMAX上映方式にとどめを刺した。
ノーラン監督は、これまでも『ダンケルク』(17)で、スクリーンサイズが縦横に瞬時に変化する映像を見せてくれたが、本作では観客を、映画で描かれる現場を体験させるアトラクションのような錯覚を起こさせる。
そしてハリウッド映画やイタリア映画の歴史がサイレント映画から始まってたびたび描いてきた、例えば『ベン・ハー』(59)や『クレオパトラ』(63)といった史劇映画の到達点になった。神話映画でもあるが。
同時にクリストファー・ノーランや主演のマット・デイモンにとっても彼らのそのキャリアにとって代表作と言える作品がこの『オデュッセイア』だと言える。
むろん映画は、映画館で見ることが正当な見方であるのと同時に、なかでもIMAXの設備が充実した映画施設でこの作品を見ることをお勧めしたい。
古代ギリシャの吟遊詩人ホメロスによる英雄譚「オデュッセイア」の映画化である。
脚本もクリストファー・ノーランである。
ギリシャ、イタリア、アイスランド、スコットランド、モロッコと世界中で撮影された。
「一見 魔法のような時代」
ギリシャの島国イタケ。
王宮の薄暗い広間の宴。男が話をしている。
「顔…」
「戦…」
「男…」
「民…」
「戦場…」
「トロイの城こそ破るべし」
「燃やしつくせ」
トロイの木馬作戦を成功させ、10年続いたトロイ戦争を終結させたイタケの王オデュッセウス(マット・デイモン)は、その後10年消息を絶っている。
広間には大勢の臣下が集まり、その中には王オデュッセウスの息子テレマコス(トム・ホランド)、その母で王妃であるペネロペ(アン・ハサウェイ)に対してアンティノオス(ロバート・パティンソン)やポリュボス(コリー・ホーキンズ)ら求婚者たちが、宴を繰り返し我が物顔で居座っている。王の座を狙っているのだ。ペネロペの侍女メラント(ミア・ゴス)の動きも怪しい。
映画は、現在と過去をカットバックで描いてゆく。
波寄せる海岸に巨大な木馬の半身が砂浜から突き出ている。
数頭の騎馬兵士がそちらへ向かって駆けている。
ひも付きの弓を射られ、シノン(エリオット・ペイジ)が、木馬に括りつけられる。
「これは何だ」
「捧げものです。アテネへの」
「我らの神でもある。汚すな。運べ神殿へ」
大勢で木馬をロープで海岸から引っ張っている。
宴の場。
「戦…」
「男…」
「もう、よい。止めろ。聞きたくない」
テレマコスを「母親っ子め!」と蔑む。
王妃ペネロペは「夫を失って息子まで失いたくない」と言う。
テレマコスは、今は盲目となった忠僕エウマイオス(ジョン・レグイザモ)から剣の訓練を受けている。彼は、今は蔑まれ豚を飼いながら、オデュッセウスの猟犬アルゴスを守っている。彼は、オデュッセウスの帰還を信じている。
アンティノオスらから命を狙われているテレマコスは、父の行方を求めて旅立つ。
オデュッセウスは孤島に漂着し、不死の精霊カリュプソ(シャーリーズ・セロン)に救われ、甘い日々を送っている。記憶を奪う蓮の実によって島に留め置かれていた……。
オデュッセウスが、記憶を取り戻す過程で、単眼の巨人キュクロプス、魔女キルケ(サマンサ・モートン)、鎧の巨人たちとの遭遇が描かれる。
オデュッセウスを見守る女神アテナにゼンデイア、ルピタ・ニョンゴは、スパルタ王妃トロイアのヘレネとヘレネの双子の姉妹ミケーネ王妃のクリュタイムネストラを演じる。
マット・デイモンのこの映画における堂々たる座長ぶり。
初めは頼りないトム・ホランドが、映画が進むにつれて凛々しい顔つきになってゆく。
アン・ハサウェイ、シャーリーズ・セロンのほとんどノーメークで醸し出すその色気。
ロバート・パティンソンの憎々し気なその悪役ぶり。
ミア・ゴスの不気味さ、名優サマンサ・モートンの意外な配役。





そしてなんといっても、海岸でのシーンや船上での場面では、観客であるこちらまでその場にいるかのような臨場感があり、足もとが海岸の波に漬かっているかような没入感がある。これはIMAX映像ならでは。これまでになかった映像的達成感である。
本作は映画の面白さを十二分に堪能できる。本当にびっくりした映画だ。
映画の最後に「盟友デヴィッド・キーリーに捧げる」と出る。
キーリーは、IMAX社の最高品質責任者で、このフォーマットの長きにわたる第一人者だった。
戸田 学
9月11日(金)公開。
