本屋さんの想い出

写真右手「村越整形外科」の看板の左隣に文中に出てくる旭屋書店大阪駅前店。1976年頃、撮影。

 書店の減少、再編が著しい。これは文化的には嘆かわしい事だ。

 かつては駅前や商店街には必ず町の書店があったものだ。大阪の大型書店といえば、紀伊國屋書店梅田本店や曾根崎にあった旭屋書店本店が知られた。

 私は堺市の現在は北区になる金岡町の新興住宅地で育った。1960年代のことだ。

 新興住宅地の子どもらと違って、校区の金岡小学校の子どもたちは農業に携わる家の子が多かった。

 自宅を改装するために地盤を掘り起こすと、古銭の入った壺が出て来た。そのうちの子が、古銭が錆びついた塊を学校へもってきて、同級生にも分けてくれて、その銭に水をつけてコンクリートにこすりつけて、古銭の形に再現させたりした。

 さて、本屋である。金岡町の中ほどに土地の守り神である「金岡神社」があった。その前に南海バスのバス停があり、その前に「廣文堂書店」があった。

 のちには、堺市の中心区の西高野街道沿いに支店も出来たが、バブル期の投資か何かの失敗で破綻した。

 60年代の幼少期には、廣文堂から「少年少女 世界文学全集」や「きょうの料理」などを拙宅では定期購読していて、店のおじさんが営業もしていた。当時は、いろんな営業が来ていた。外国の食器を売りに来たときは、「TVの『奥さまは魔女』で遣われていた」という売り込みがあった。まだ人類が月に到着していない時代は、アメリカの商品のあこがれがあった。

 小学四年生の正月以降、積極的な映画ファンになり、同時に雑誌、書籍でも映画本に興味をもった。

 地下鉄御堂筋線が堺までつながっていない時代は、堺から大阪難波へゆくのは、南海電車が主な交通機関だった。金岡に住んでいた私は、南海高野線「中百舌鳥駅」がもより駅だった。文化圏的には大阪ミナミであるが、大型書店としては「難波ブックセンター」ぐらいしか思いつかない。すでに廃業した。現在のお好み焼きの「ぼてじゅう」ビルがある場所。

 ここは、4~5階建ての書店ビル。上層階に映画コーナーがあった。小学生か、中学へ入った頃、ここでひとりで映画本を見ていると頭髪の薄いレインコートを着た中年男性が近寄って来た。「映画が好きなの?」と。私は「ええ…」。「トイレがどこか知ってる?」と聞いてきた。「あっちじゃないですか」。「……ついて来てくれる?」「いえ……それは…」。「じゃあ鞄だけでも持っててくれる?」と聞いてきた。隙を見て逃げた。恐らくゲイの人だったのだろう。

 そういえば「難波ブックセンター」は、笑芸作家の香川登志緒が毎日来ていたと芸能研究の先輩に聞いた。

 大型書店ということで言えば、やはり大阪キタのターミナルである梅田、大阪駅である。

 大阪駅前がまだ大きく再開発される前は、大阪駅前に軒の低い、アーケードがある商店街が広がっていた。その裏のあたりは、かつて闇市があったという。

 その商店街の中ほどに「旭屋書店大阪駅前店」があった。ここは曾根崎にビルが出来るまでは本店であったそうだ。木造二階建てだった。床を踏みしめると軋んだような音がしたような記憶がある。

 小学5年で『チャップリンの黄金狂時代/犬の生活』を見て以来、チャップリンに興味があった。店へ入っ右側の本棚の中ほどに『チャップリン自伝』(新潮社)がある。欲しかった。2500円。小学生には手が出ない。何か月か小遣いを貯めて、ここでこの本を買った嬉しさ、感動は、大人になってからはついぞない。

 曾根崎警察の並びにあった旭屋書店本店は、ビルで高層階には鉄道模型の専門売り場などもあった。上層階には、映画や演劇、演芸本が売られていて、のちに自分の本が並んだときは嬉しく思った。

 曽根崎の旭屋では、ソフィア・ローレンのサイン会もあった。『リベンジャー』(79)公開ごろであった。

 「ブックファースト」は、平成になってから創業された。

 旭屋書店本店の西向かいの阪神百貨店裏の新阪急ビルの1階~3階まで「ブックファースト梅田店」があった。

 内部の喫茶コーナーの壁は、画廊にもなっていた。3階がやはり映画や演劇、演芸関係のコーナーになっていて、拙著もオリジナルのポップ付きで、一階の話題本コーナーとともに、よく売り出してもらった。(2014年2月28日閉店)

 この店で拙著『上岡龍太郎 話芸一代』を見たという映画ライターがいた。

 プロフィールを見たのだろう。「上岡龍太郎の本が並んでいた。秋田實ってなに?」。詳しく話しても仕方がないので、「そういう作家の先生が昔いてね。本見てくれたんやね?」「私、上岡龍太郎に興味がないから!」。なめとんのか!と思ったりした。

 紀伊國屋書店梅田本店は、阪急梅田駅のホーム下の一階にあった。ここは、西側に「BIGMAN」という大きなモニターがあって、人の待ち合わせ場所になっていた。この西側と東側に書店の入口があり、東側はタクシー乗り場を隣接していたが、その前では、阪急ブレーブスの広告や、宝塚ファミリー劇場、宝塚歌劇を大きく宣伝していた。夏休みの宝塚ファミリー劇場は、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」の特集を毎年のように開催していた。

 紀伊國屋書店梅田本店の道路を挟んで北側の高架下には「阪急プラザ劇場」という大型映画館もあった。

 やはりこの店でも映画や演劇、演芸関係のコーナーの常連になった。のちに拙著がポップ付きで並んだのは、嬉しいものだ。

 『いとしこいし漫才の世界』(岩波書店)出版時には、共編者であった喜味こいし先生のサイン会と、私とのトークショーがあった。立ってのトークでの立ち位置での、私はやはりお兄さんの夢路いとし先生の上手側であった。その後、京都のジュンク堂河原町支店でも同様のサイン会とトークショーがあった。この時には、もう大丈夫かなと思い、こいし先生に「君に聞きたいことがあんねやけどね」といとし先生の真似をして聞いたら「何が訊きたいねん?」とすぐに返って来て、あがったことがある。いい思い出ですね。

*今回のエッセイを構成するにあたりアメブロで鉄道の旅を掲載されている“tetsudotabi”様から貴重なお写真をお借りする事ができました。本当にありがとうございました。(編集部)

“tetsudotabi”様のblogはこちらから