ジャン・レノ『らくだ』
『グラン・ブルー』(88)、『レオン』(94)、『クリムゾン・リバー』(00)、『クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち』(04)で知られるジャン・レノは、日本でもたいへん人気があるフランスのスターだ。
そのジャン・レノのひとり芝居が、世界に先駆けて日本で初公演されることになった。
東京を皮切りに富山、兵庫、静岡、宮城、石川、高知、福岡、山口、京都、愛知、岡山と巡業。
芝居の題名は『らくだ』。
知り合いの芸能好きは、一瞬、古典落語の『らくだ』に挑戦するのかと思ったという。無理からぬことだ。
ジャン・レノが、初めて映画に出たのが、イブ・モンタン、ロミー・シュナイダー共演の『女の輝き』(79)。警官役だ。緊張のためにぎこちない動きだった。大柄な彼に監督から「カメラの位置を上げる。フレームに入らない」とアドバイスされる。それでカメラの前で急いで歩いていたのをゆっくりと歩くようにした。
大柄でゆっくりと歩く。そして「ボクは、らくだなんだ」と思った。
語りに時に歌が入るひとり芝居『らくだ』は、ジャン・レノの半生を30章にわたって物語る。それで『らくだ』と題したようである。
私は、7月12日の京都劇場での公演を見た。
ジャン・レノは公演にメッセージを寄せている。
「自分の「人生の旅」を作品にする。それも、俳優としての原点である演劇で。そんな長年抱いていた夢を、ついに叶える時がきました」
演出はフランスの演出家で映画監督でもあるラディスラス・ショラー。
ピアノ演奏はパブロ・ランティ。
舞台は下手(左側)に撮影カメラ、足もとにフィルム缶が積んであり、譜面台に椅子。後ろのハンガー掛けにかかった何着かの上着に帽子。反対に上手(右側)には映写機と椅子にピアノがある。
客席は照明を落として真っ黒にする。上演五分前ぐらいにジャン・レノ自身が日本語で「間もなく始まります。お楽しみください」などのナレーションが入る。
舞台奥はスクリーンになっているようだ。ここに映像や写真、影絵調の映像などを映し出してゆく。
ジャン・レノは母国フランス語で語る。時には、ちょっとした日本語もサービスする。
私の座席は、1階E列1番。前から5列目の下手の一番端の席だ。
日本語字幕は、国立文楽劇場の浄瑠璃での字幕がそうであるように、舞台中央の上あたりに出る。
端の席からは、なかなか始めはジャン・レノと、字幕読みを上手くできなかった。
冒頭は、カモメの鳴き声だけが聞こえ、やがて奥のスクリーンに、影絵のような港町、カモメが飛んで行く。やがて建物があり、そこに洗濯物がある。バルコニーに女性がいる。この様子は、奥のスクリーンではなく、手前にカーテン状のスクリーンが降りて来ていて、その後ろにジャン・レノの姿があり、語りだす。
「ラクダが内なる動物。ぼくのトーテム」。
彼は光の元へ飛び出し、衝撃音。事故に遭う。最初の縫合。翌朝、妹が出来たと知らされる。
両親の出身地スペイン・アンダルシアで初めて映画と出会う。それも主催が教会の司祭で屋外にシーツで作ったスクリーンに映画を映し出す。まるで『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)のようだ。
カサブランカでジャズクラブの前を通り、ピアノの音を聞き、ジャズが天職だと思う。天職探しの人生が始まる。
舞台は、時にジャン・レノが歌ったりする。
15年後、ナンテール劇場で俳優としてコンシェルジュ役を演じる。ミシェル・ピコリにお茶を運ぶ。ピコリが「お茶が熱すぎる」とアドリブを言ったので、ジャン・レノは奥へ引っ込み、お茶を入れ替える芝居をする。しかしアドリブ芝居はその一回きりだった。公演が終って演出家から『グルーチョ・マルクスの書簡集』を贈られ、そこに「君をもっと自由に演技させるべきだった」と記されていた。彼は思う、「直観と想像に従うのだ」。
やがて演劇賞を受賞して『ロミオとジュリエット』に出演した女優アトリーズと婚約。パリへ行くことになる。
貧しいながらも何度も職を変え、結婚も3度経験し、やがてスターになるまでの彼の道程を語りと歌で表現してゆく。
それまでのジャン・レノのイメージは、アクション演技もするが根は無骨なスターであった。このひとり芝居を見て分かったことは、歌も歌い、詩人で繊細な芸術家の姿だ。
『レオン 完全版』で見せたナタリー・ポートマンとのモノマネ合戦での、ジョン・ウェインのモノマネ、『WASABI』(01)での侍の恰好でやたら怒鳴り上げる三船敏郎の姿だ。あ、でもモノマネは無骨な役者ばかりだ。
ノートルダム大聖堂での案内のアルバイトで初めて日本人に接し、『グレート・ブルー(のちグラン・ブルー)』(88)のプロモーションで初めて日本へ来て魅了され、恋をしたと語り、
『WASABI』での日本ロケやトヨタのCMで17年間、ドラえもん役を演じた。ファンレターも多く、中には結婚の申し込みもあると笑わせる。
1980年代にオーディションで出会ったのが、リュック・ベッソン監督だった。
また一度断った『RONIN』(98)にロバート・デ・ニーロに呼び寄せられるエピソードもいい。ラストの両親への感謝も上々。上質の舞台に客席は何度もスタンディングオーベーションで称え、ジャン・レノもとても嬉しそうだった。
帰りには日本好きのジャン・レノのために今回特別協賛になった「獺祭」の一合瓶をお土産にもらった。
